小さな芽~「いじめについて」その2~ 理事長 若月 ちよ
「いじめ」には「いじめる子」「いじめられる子」そして「傍観者になる子」が存在し、それぞれに孤独と不安を感じています。
「傍観者になる子」の孤独と不安、それは、いつ自分に「いじめられる子」の役が回ってくるかもしれない、という不安であり、いじめられている子に何もしてあげることができない自分に対しての無力感です。
子どもたちが、それぞれに孤独感や不安感・無力感を感じながらいるとしたら、それはとても悲しいことです。では、何ができるのか。
「まわりの子ができること」を伝えること、そして、「いじめについて子どもたちと共に考える時間を持つこと」です。
「まわりの子ができること」は何か。「いじめを受けている子」は孤立感を抱えています。ですから、ちょっとした声掛けでも、気にしてくれている子がいることに力をもらえると言っています。
他の子の目のないところで、トイレや学校の行き帰りや昇降口であった時とか、声をかけてあげることだけでも、力になるのです。ちょっとした声掛け・・・それは、「おはよう」「さようなら」のあいさつだけでもいいのです。気にしているよ、の気持ちを伝えることが、できることなのです。
子どもたちと共に「いじめ」について考える時間が持つこと・・・なぜ、いじめが起きるのか、いじめられて当然の人なんているのか、もし、自分がいじめられていたら、何をしてほしいか、いじめを受けている子の味方になって、代わりに自分がい じめられたらどうするか等、家庭や学校で考える機会を持つことです。
それは、「いじめ」を自分の問題としてとらえることになります。
誰もがいじめは悪いことだと思っています、ですから、「いじめはよくないからやめなさい」だけではなくなりません。もちろん結論は出ないかもしれません。でも、「あきらめないこと」を伝えていきたいと思っています。そして、私たち大人も 「あきらめず」に「いじめ」に向き合っていきましょう。